対馬全カタログ
            
 
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【地名の由来】



【名所】
真珠の湯温泉:対馬初の天然温泉。本文参照。

真珠の湯温泉

高 浜 【 たかはま 】

 

漁業の村は、温泉の村にもなった。

対馬版プロジェクトX
 プロジェクトのスタートは1991年だった。ランドサット衛星の画像解析や空中写真で4ヶ所の温泉源候補地を特定。その中から1ヶ所に絞り、93年に試掘を開始。500mも掘れば出るだろうという読みは見事に外れ、美津島町は追加予算を余儀なくされた。隣の壱岐には昔から温泉があり、お年寄りはわざわざ壱岐まで湯治に行った。島民にとって温泉は夢だったが、諦めねばならない夢のひとつだった。
 試掘は地下1000mを少し越えたあたりで温泉の水脈に達した。泉温33.4度、泉質はアルカリ性単純泉。1995年5月16日の新聞は、対馬から温泉が出たことを大きく報じ、福祉や観光に活用したいという町長のコメントが載せられた。これには対馬中が湧いた。美津島町営温泉「真珠の湯」。島民の夢がひとつ叶った。

鶏知の港として発展
 古墳時代、大和朝廷の対馬統治の拠点が鶏知に置かれたという説は、ここに本格的な古墳が多いことを第一の根拠としている。大和との関係強化のためにも東海岸である必要があった。今でこそ鶏知は海から遠ざかってしまったが、その頃の入江は鶏知のすぐ近くまできており、対馬海峡側でも浅海湾側でも海に出るのに便利だった。その後入江は干拓され、港は鶏知から離れて高浜として独立した村を形成するが、1471年に出された朝鮮の書『海東諸国紀』にはまだ高浜の名はない。

外来漁民の村
 1700年頃に曲に定住し「曲海士」と呼ばれるようになった鐘ヶ崎海士は、曲定住以前は高浜と鴨居瀬(かもいぜ)近くの紫瀬戸に住んだ。漁期の間の仮住まいだったらしいが、どちらにも海の神様である筒男三神を祭る住吉神社があった。住吉神社があったから、その2箇所を選んだのかも知れない。
 漁業の村にはその後も、島原、大分、広島、愛媛からの外来漁民が住み着き、ついには外来者が多勢を占めることになり、その漁民たちによって?知漁業協同組合がつくられた。そして対馬では始めて採藻権、地先権が外来漁民の手に移るという快挙を成しとげた。
漁協前の賑わい