対馬全カタログ
            
 
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【地名の由来】複雑に山が連なり一見すると陸続きと思われるが、ここはれっきとした島。ここの山は島だということをそのまま地名にし、通常は○○島の島を略して「島山」と呼んだ。そしてそこにある村だから村名も「島山」。

【名所等】

島 山 【 しまやま 】

 

かつて石屋根の石を産した島は
現在、新たな農業の発信地に。

対馬の中の離島として
 浅海湾のほぼ中央に浮かぶ島山は、浅海湾で唯一の人の住む島であり、対馬の本島を除くと最大の島ということになる。1994年(平成6年)11月に、島山島と本島を結ぶ浅茅パールブリッジが開通するまでは、船しか交通手段がない、いわば離島の中の離島、僻地の中の僻地だった。
 しかし、かつて海上交通が当たり前の時代、それほど人が移動を求めない時代には、浅海湾沿岸の村と大同小異だったはずだ。この村の周辺には弥生時代以前の埋葬遺跡も多く、農耕に使用していたとみられる石器も出土している。また、元禄時代(1700年頃)には9戸42人で、明治初期は11戸。多くはないが、当時としては特別少なくもない。耕地面積にふさわしい数字なのではないだろうか。
 しかし、明治になって他の村が入漁者の定住などで大幅に人口を増やしたのに比べ、島山は微増。1977年(昭和52年)は13戸、1999年(平成11年)は11戸となっている。

最高品質の石屋根の石
 島山は石屋根に使う泥板岩(頁岩けつがん)の生産地と知られ、その石は「島山石」として知られる。石屋根の石だけでなく、屋敷の敷石や壁石、墓石に使われることが多く、風呂の洗い場の床石などにも使用されている。万松院にある宗家32代義和公の墓石には島山石が使われているそうだ。
 石は海岸で採取されるので、船に積むのに都合がよく。対馬各地に団平船と呼ばれる船で運ばれた。
 かつては瓦が使えないので石を使ったが、現在では屋根を石で葺くのは瓦で葺くよりはるかに高価であり、石屋根の用途としては、県の文化財に指定された椎根の桐谷家の小屋の葺き替えが最後(1985年)ではないだろうか。経費は700万円だったそうだ。

新しい対馬の農業をめざして
 1989年(平成元年)から2000年(平成12年)にかけて、長崎県と美津島町により、島山地区の農地の造成と道路の整備が行われ、1994年(平成6年)には浅茅パールブリッジが完成し、島山は国道382号線につながった。
 平地12haが造成され、そこを活用するために財団法人 美津島町担い手公社が発足。公社では、堆肥の製造・販売、農作業の受託、農業研修、さまざまなテスト事業が行われ、次代の農業の育成をめざしている。
 農作業の受託としては、近年急増してきた休耕地に対州そばを栽培したり、畑を借りて作物を育てたりしている。
 テスト事業として、果樹園ではブルーベリー、梅、銀杏が試験栽培され、また現在は終了しているが、対州馬の飼育、地鶏の放牧も行われていた。

パールブリッジ