対馬全カタログ
            
 
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【地名の由来】かつて「椎下(しいげ)」と読んでいたのが「椎根」となった。椎の木が生い茂る山の下、ということだったらしい

【名所】


椎 根 【 し い ね 】

 

文化財指定の石屋根

石屋根といえば椎根。
椎根といえば石屋根。
風土と政治と経済が生んだ石屋根
 対馬の西海岸は冬になると「あなじ」と呼ばれる北西の風が吹き寄せ、村々はそれに耐えて冬を越す。その強風に耐えるためにも重い石の屋根は非常に合理的であり、火事の際の類焼を防ぐためにも理にかなった建築であるように思えるが、事情はそれだけではなかった。まず藩は農民に瓦を許さなかった。それに石が瓦にくらべて安いということもあり、明治になってからも石屋根が続いた。
 石屋根がいつの頃から普及したのか、明確な記録はないが、1811年(文化8年)の佐賀藩の学者の「対馬日記」に石屋根の記述がはじめて登場することから、江戸時代中期から後期にかけてと推定されている。

石屋根の値段
 現在、石屋根の小屋は確かに少なくなってきているが、小屋自体は屋根を瓦に変え、対馬のほとんどの村で健在だ。火事による被災を最小限にとどめることが目的で、300年以上の伝統があるらしい。昔は自給自足なので、衣類も食料も焼失すると大変な事態を招く。だから少々不便ではあるが母屋から離れて建てられ、そこに什器や衣類を保管し、食料を備蓄した。湿気とねずみによる害を防ぐために高床式だが、村によって床の高さが異なったりもする。
 石屋根には対馬のどこでも手に入る頁岩(けつがん)=泥板岩を使用する。立派な石屋根を望む場合は浅海湾の中央に位置する島山の頁岩を使用する。1985年(昭和60年)に行われた、文化財指定の石屋根の葺き替え工事経費は700百万円だった。今はもちろん瓦の方が安い。
 石屋根は、椎根のほかに久根浜、久根田舎にも多く残っている。こちらは観光客が訪れることもなく、時の重みに少々くたびれた石屋根小屋が当たり前のように道路わきに建っている。