堤防のない村
朝鮮海峡とこの村を遮るものは何もない。堤防がないので、冬になれば荒波は浜の石を洗い、寒風は村を走る。対馬の名所となった段々畑も寒冷のため冬眠状態となる。春を前にすべての船が流されてしまったこともあったという。
青海はもと南の木坂、北の津柳とともに木坂八幡の神領であったらしいが、のちに武家領となった。それがこの村のあり様にどう関与したかは計れないが、津柳、木坂の立派な堤防を思うと、何らかの関連性を想像してしまう。
寄り神伝説
この村の有名な伝説に寄神伝説がある。左衛門次郎国広の夢に神が現れて、明朝ここの浜に寄るので社を建てて祭れば加護する、と言った。明朝浜に出てみると大きな石が2片青い海に浮いて流れてきた。国広が扇を開き、昨夜の夢に出てきた神ならば扇の上に上りたまえ、と言うと、石は扇の上に上った。そこで社を建てて祭った。神の寄ってきたところを寄神崎という。その社、寄神神社は浜の南にあり、今も村を守っている。
ヤクマ祭りと両墓制
木坂の海神神社の氏子だったので、木坂と同様の風習が残っている。
ヤクマ祭りは木坂と同様、旧暦6月(新暦7月)初午の日に行われる。村の男たちは石の塔を積み、御幣を立て、麦の甘酒、小麦餅、ハタキモン(小麦とえんどう豆の団子)を供えて、木坂の天道の神山の方を向いて礼拝。
またかつては両墓制もあった。海岸の砂丘に埋め墓、お寺(慈眼寺)に拝み墓を置き、法事は拝み墓で行った。
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