対馬全カタログ
            
 
リンク

【地名の由来】かつて風待ち、潮待ちのために船商人が集まる港で、その宿を邸家(つや)とも言った。当時の主要港の西にあったので、西のつや。

【名所等】
立岩:津屋から海岸沿いの道を南西に走ると車窓の前方に海から突き出た岩が見える。

西光寺の霧島ツツジ:本文参照。

現在の西光寺のツツジ

西津屋 【 にしつや 】

 

ツツジの巨木は姿を消したが
おいしい蕎麦と野菜は健在。

対馬でツツジといえば
 いつの頃からの村かは定かではないが、鎌倉時代に宗氏と阿比留氏が争った時、佐須奈を拠点としていた阿比留禅祐坊の子女がこの村にかくまわれたという話がある。おそらく平安時代以前に成立していた村ではないだろうか。
 かつて西津屋といえば、対馬では西光寺のツツジ(キリシマツツジ)と西津屋蕎麦で有名な島内観光地だった。
 西光寺は住職はいないが廃寺ではない。仏事があれば同宗派の寺から担当の僧が駆けつける。そんな寺を無住寺というらしい。そのあまり広くない境内でツツジの巨木は美しい花を咲かせ、島内からの花見客で賑わった。しかし、1975年(昭和50年)ごろから、寿命を全うしたかの如く枯れてしまったそうだ。1973年に寺守りをしていたおばあさんが殺されことを嘆いたのかも知れない。(犯人は他の村の労務者で4日後に捕まった。)今はその子孫と思われる幼木が季節になると花を咲かせる。


西津屋蕎麦が食べたいんですが・・
 一方、蕎麦の方はというと、これは今でも美味しい。つなぎを全く使わないから蕎麦純度100%。だから麺に打って茹でると短く切れるが、蕎麦の旨みがダシに溶け込んで、絶品というしかない美味と香りを届けてくれる。
 しかし、西津屋で現在蕎麦を栽培している家は数軒しかないそうだ。その他の西津屋の人は、栽培しているところから荒蕎麦(籾殻のついたままの蕎麦)を買って、自宅で打つ。
 旅行者が西津屋蕎麦を手に入れるには、道で会った西津屋の人に、「西津屋蕎麦が食べたい」あるいは「西津屋蕎麦がほしい」と、とりあえず言ってみる他ない。時間と根気があり、余程運が悪くなければ、美味しい西津屋蕎麦にご対面することができる。


野菜と長寿
 かつて西津屋は対馬一の長寿集落で、日本全国でも第3位だったという。1964年(昭和39年)の調査で、70歳以上が人口に占める割合、という極めてシンプルな統計だが、この当時はまだ過疎もさほど問題ではなく、この数字(西津屋は11%)だけで、長寿村かどうかが判断できたようだ。
 その長寿の理由として、西津屋は、畑が多く、甘藷、野菜、蕎麦の産地であり、健康によいニンジンやカボチャもつくり、海草を多く食べていることが挙げられている。つまり栄養のバランスが理想的ということらしい。そしてこの状況は今も変らないという。
 現在、西津屋の新鮮な野菜は佐須奈の「やまねこ楽市場」で、毎週火・木・土の朝市で買える。


「あなた」も「こなた」に
 かつて民家は2ヵ所に分かれ、上里の家を「那辺(あなた)」下里の方を「這辺(こなた)」と呼び、「こなた」は海際にあった。
 江戸時代は農業がメインで、漁業はサブだったが、時代とともに漁業の比重が増え、それにともない上里の家々も下里の方に。現在ではほとんどの家が「こなた」に集まっている。決して農業がおろそかにされている訳ではないようだが、高齢者が農業の中心であることは他の村と変らない。

立岩
朝市の西津屋野菜