対馬全カタログ
            
 
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【地名の由来】かつて宮谷の南端(谷出橋)の西上方に風神の神社があり、その奥にある谷だから宮谷と呼ばれるようになったと言われている。

【名所】
対馬藩家老屋敷跡:家老を務めた氏江家の屋敷跡で、石垣と長屋門が残っている。現在は長崎県対馬支庁の庁舎敷地となっている。北側の道が「氏江小路」と呼ばれた。

宮 谷 【 みやだに 】

 

石垣

石垣の町は、今も
江戸の佇まいを残す。
ここは武家屋敷の町
 対馬最大の街である厳原は、豆酘や小茂田も含む下県郡厳原町の中心であり、町名と街の名が同名。封建時代は「府中」と呼ばれ、明治になって「厳原」というまったく新しい名が与えられた。宮谷は厳原10地区のひとつ。桟原屋形(城)に近いので武家屋敷が多く、その石垣が観光スポットとして多くの観光客を集めている。道は舗装されてしまったが、石垣のほとんどは江戸時代のものだ。

立派な屋敷は対朝鮮対策
 現在の長崎県対馬支庁の周囲は、ひときわ立派な石垣が残っている。かつての家老氏江家の屋敷跡で、長屋門などを見てもその格の高さがわかるが、現在の国道382号線沿いにはこのような立派な構えの屋敷が並んだ。江戸時代、その通りは馬場筋と言われ、朝鮮通信使たちの行列も通った。藩は朝鮮に対する体面のために、家臣にかなり無理をさせたようだ。一筋裏に置かれた少禄の武士たちの屋敷には庭園ではなく菜園があり、そこにはつつましい武家の生活があった。

石垣の道「氏江小路」

家老屋敷の長屋門