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【地名の由来】河口を意味する水門(みなと)から。 |
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北の信仰の里は、 ツシマヤマネコの里でもあった。 |
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天道山のある村 佐護平野を流れる佐護川の河口の左岸にあるが、それは干拓後。かつては海辺の村だった。田や畑が少なく、漁業と製塩をなりわいとした典型的な対馬の村だが、他にはないもの、少なくとも上島にはここにしかないものがあった。 この村の北には上島における天道信仰の中心、天道山がある。1471年の朝鮮の書『海東諸国紀』に天神山として紹介されているこの山は雄嶽と雌嶽の二峰からなる。雄嶽に御子神、雌嶽に母神を祭る祠があり、入山はタブー。天神多久頭魂(あめのたくづたま)神社と呼ばれている。麓には遥拝する祭場があり、左右に石積みの塔が並んでいる。 信仰の北の極として この村には神御魂(かみみたまorかんむすびの)神社もあり、神皇産霊(かんむすび)神を祀る。天神多久頭魂神社と、神皇産霊を祭る神社の組み合わせ。下島の豆酘(つつ)には多久頭魂神社と高皇産霊(たかおむすび)。似ている。さらに範囲を佐護平野一帯に広げると、恵古(えこ)に観音堂もあり、かつて亀卜(きぼく=青海亀の甲羅を使った占い)も盛んで、豆酘と同様水田も多い。 どうしてここが天道信仰の北の中心となったのかだが、やはり佐護平野の恵み(稲作)を受けた、力のある土豪が統治していたからと考えられている。そしてそれは豆酘も同様だ。 ツシマヤマネコに会いたければ ツシマヤマネコは大陸性のネコ科の動物として広く知られているが、対馬の地理的異色性を示す格好の素材だ。1971年には国の天然記念物、1994年には国内希少野生動植物種に指定された。かつて島全域に棲息していたが、1994年から1996年に行われた調査では推定生息数は70〜90頭。現在対馬でツシマヤマネコのことを知りたいというと、この村にある対馬野生生物保護センターに案内される。 センターは湊から車で5分の棹崎公園の中にある。棹崎にはかつて砲台が置かれ、130人が駐屯していた。対馬で20数ヶ所あった砲台の中で棹崎砲台だけが米軍の攻撃をうけたと言われている。公園はその砲台跡を利用しながら、美しくレイアウトされており、空気の澄んだ日には韓国の山々を望むこともできる。 |
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