縄文早期の対馬が眠る
ひと山越せば伊奈というところに越高はある。その「高い所(山)を越す」がここの地名の由来という説もある。伊奈までは道なりで1.5km弱。かつては70mほど登って山を越えたが、現在はトンネルがある。
対馬最古の遺跡といわれる越高遺跡は、伊奈に向かう道を左に、つまり西にそれ、海岸を岬の方にしばらく歩いた辺りにある。1976年(昭和51年)に発見され、発掘調査によって縄文早期末、前期初頭の土器・石器・黒曜石が出土。さらにそこから100mほど離れた海岸近くからは縄文前期前葉から後葉にかけての土器や石器が発見された。
韓国系土器と縄文土器の混在
ふたつの遺跡の調査を総合して言えることは、縄文前期も早いうちは韓国系の土器が多く、次第に九州系の土器が増え、前期末には韓国系土器が再度盛り返していること。石器に関しては、黒曜石とそれを加工した、北九州でよくみられる大型の石鏃(矢じり)が出土。黒曜石の大半は佐賀県伊万里産で、同様の黒曜石と九州系の土器が韓国の同時代遺跡から発見されており、紀元前4000年、つまり6000年前から大陸と日本列島の間に、対馬を挟んで交流があったことが確認された。
遺跡を背に海の方を眺めると、おそらく6000年前もこうであったろうという風景が広がる。古の人はどのような精神でこの風景を眺めただろうか。
伝統的に農業の村だが
越高には船が少ない。かといって土地も多いわけではない。しかしこの辺では、越高は農業の村として知られている。この村の人たちは近隣の村を開田し、そこを耕すことで自分たちの農業を維持してきた。しかし今はその農業を継ぐ者が減り、他所の家に収穫の一部を払い、耕してもらっている家が多いという。
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