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【地名の由来】神神社のある伊豆山の山路が険しく、木の根をよじって上り下りすることから「木坂」と呼ばれる、とあるが・・・。 |
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朝鮮海峡の守り神。 海神神社は対馬の国の一の宮。 |
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御前浜遠景 朝鮮海峡を吹き渡ってくる北西の風「アナジ」と、それに伴う荒波から村を守るように木坂の堤防は村を隠す。その堤防から北に外れた浜が御前浜。浜の中ほどには藻を蓄えておくための赤屋根の藻小屋があり、その向うには中腹に海神(わたつみ)神社を抱く聖地伊豆山がそびえる。決して高くはないが、やはりそれらしい山容を誇っている。 現在、御前浜一帯は木坂御前浜園地として、キャンプ場、野鳥の森、展望台が設けられ、冬はバードウォッチング、夏はキャンプ場で賑わう。その丘の上には野生の鹿が放牧され、道で突然鹿と出くわすこともある。 海神神社縁起 海神神社の起源詳細はわかっていない。伝説では神功皇后が伊豆山に強い神霊を感じ、そこに鰭神(ひれがみ)を祭らせたとある。神社の北向いにある弥生後期の石棺群(ヨケジ遺跡)の発掘調査により、出土した銅矛の断片と海神神社の宝物となっている銅矛の欠損部分が一致することが判明した。石棺の主と霊威に何らかの関係を求めたのかも知れない。 ここは対馬の国の一の宮であり、豊玉媛と鵜茅葺不合尊を祭った。しかし中世のある時期から八幡宮となり、祭神は八幡神(応神天皇)と神功皇后に。そして明治4年に海神神社に戻った。ご神体の5体のうちの一つは新羅仏(銅造如来立像)で国の重要文化財。社に至るまでの石段は280段だそうだ。 風習の村 木坂は隣村の青海と同様、古い風習が明治の頃まで残っていた村だ。両墓制もその一つで、かつて死者は村の南にある保利の山に埋葬され、墓(拝み墓)は麓の三つの寺に設けられた。また明治中頃まで、分娩は家ではなく小屋(産屋)で行われた。 ヤクマ祭りは現在も続いており、青海と同様旧暦6月(新暦7月)初午の日に行われる。石の塔を積み、御幣を立てて伊豆山の南西にある天道の神山を向いて礼拝する。 また、この村は「木坂地区の町並み風景」としても、峰町の観光に貢献している。 |
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