対馬全カタログ
            
 
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【地名の由来】古い文書には「介地」、あるいは「慶地」とあり、「ケチ」という名はかなり古くからのものとされているが、由来は不明。

【名所等】
根曽古墳群:5世紀から6世紀にかけて3基の前方後円墳と2基の円墳がつくられた。
住吉神社:『延喜式』に名神大社として挙げられた住吉五社のひとつ。 

鶏 知 【 け ち 】

 

根曽古墳群のある半島

そこには古の繁栄を伝える古墳と、
対馬の新しい暮らしの風景がある。

町の風景が新しい
 最近の対馬でもっとも変化が激しいのが、鶏知を中心とする美津島町だといわれる。1992年に開局した町営有線テレビ、95年に対馬で初めて誕生した天然温泉、さらに中対馬病院と、町民あるいは島民の生活を少なからず向上させてきていると聞く。
 その町役場がある鶏知には、国道382号線沿いに大型スーパーやハンバーガーショップなどが並び、対馬ではもっとも今風な光景を見ることができる。

本格的な古墳と県直(あがたのなおえ
 この町の古の繁栄を示すものに古墳があげられる。鶴の山古墳は古くから「出居塚」の名前で伝えられていた前方後円墳で4世紀後半のものらしい。これから東に2kmのところ、根曽の半島部に前方後円墳が群集しており、根曽古墳群として国指定史跡になっている。対馬では本格的な古墳はこの周辺のみであり、これらの墓の存在が、古墳時代(大和朝廷初期)に島を統治した対馬県直(つしまのあがたのなおえ)の鶏知居住の重要根拠となっている。 

阿比留氏から宗氏への権力移譲
 その後、大和朝廷の対馬統治の拠点である国府は与良、現在の厳原に置かれたが、少なくとも11世紀初頭から13世紀中頃まで、後に藩主宗氏となる惟宗氏に取って代わられるまで、政治の実権を握っていた在庁官人阿比留氏は鶏知に屋形を置いた。
 その交代劇は、日本の権力の中枢が貴族から武士(鎌倉幕府)へ移った時代の流れをなぞるように、武士化した惟宗氏に移ったようだ。比較的最近まで、惟宗氏による阿比留征伐が信じられていたが、文献等を検討するとそこには多分に潤色があることがわかってきた。
 宗氏は武士の時代が終わるまで約600年間も対馬の島主であり続け、阿比留氏は政治の座から降りた後も、鶏知の住吉神社の宮司など島の要職を世襲した。

住吉神社の社叢

住吉神社本殿